大判例

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大阪地方裁判所 昭和32年(レ)188号 判決 1964年6月01日

控訴人

中川徳松

右訴訟代理人弁護士

久保田美英

被控訴人

杉山楢吉

右訴訟代理人弁護士

加藤允

右同

東中光雄

右訴訟複代理人弁護士

杉山彬

右同

佐藤哲

主文

本件控訴を棄却する。

控訴人の当審における新訴請求を棄却する。

第二審及び第三審の訴訟費用は控訴人の負担とする。

事実

第一、申立

控訴人は、「原判決を取り消す。別紙目録記載の土地(以下本件土地と称する。)につき控訴人と被控訴人との間に賃貸借契約関係が存在しないことを確認する。被控訴人は、控訴人に対し、本件土地の西南隅の地上にある木造板葺平家建住宅建坪約六坪(以下本件建物と称する。)を収去して本件土地を明け渡し、且つ、昭和二七年八月一五日から右明渡ずみまで一ケ月金一、六〇〇円の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決および担保提供を条件とする仮執行の宣言を求め(控訴人は原審において「被控訴人(被告)は控訴人(原告)に対し八尾市大字太田七八番地の一田八畝二歩の地上にある本件建物その他の物件を収去し右土地を明渡せ。訴訟費用は被控訴人の負担とする。」との判決及び担保提供を条件とする仮執行の宣言を求めていたが、当審において右のとおり訴を変更した。)被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

第二、控訴人の請求原因

1、控訴人は、昭和九年一一月八日、本件土地を柏原仁兵衛より買い受け所有者となつたが、その頃これを被控訴人に対し、耕作の目的で賃料を反当り年米一石八斗と定めて賃貸し、金納制となつてからは一石七五円の割合で換算せられていた。

2、被控訴人は、その後本件土地を農耕の用に供して来たが昭和二七年五月初頃、四男富士雄夫婦の住宅を建てるため、控訴人に無断で、本件土地の内西南隅府道交さ点に近い約半畝歩の農耕を廃止して土地の形質を宅地に変更し、その上に本件建物を建築した。

右建物は同月末頃完成し、六月中旬から右富士雄の居住に供された。

3、右の如く、被控訴人は、控訴人に無断で本件土地の形質使用目的を変更するという信義に反した契約違反行為を為したので、控訴人は、同年七月一〇日被控訴人に対し賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。仮に右契約解除が認められないとしても、農地の賃貸借の解除権を裁判上行使する場合には市町村農業委員会の承認を要するものではなく、控訴人は、被控訴人に対し、本件訴状をもつて賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなし、右訴状は、昭和二七年八月一四日被控訴人に送達された。

4、被控訴人は、右契約解除後も、本件土地上に本件建物を所有し、その敷地以外の部分の耕作を続けて、本件土地を不法に占拠している。本件土地は農耕に供されていたのであるから、控訴人が右不法占拠により蒙る損害は、本件土地及び附近同等値の農地に対して所轄税務署が毎年決定する農家所得額を参考にして決めるのが相当であり、所轄八尾税務署が昭和二七年以降の各年度に本件土地等について定めた農家所得基準は反当り年二四、〇〇〇円を下らない。なお、前記主張の約定賃料が違法であるとしても、右賃料の定めは公定賃料である反当り年六〇〇円の限度においてその効力を有している。

5、しかるに、被控訴人は、右解除による本件賃貸借契約の終了を争うので、控訴人は被控訴人に対し、右賃貸借契約関係不存在の確認を求めると共に、本件建物を収去して本件土地を明け渡すこと、及び本件訴状送達の翌日である昭和二七年八月一五日から右明渡ずみまで右不法占拠にもとづく損害金のうち一ケ月金一、六〇〇〇円の割合による金員の支払を求める。

第三、被控訴人の答弁

1、被控訴人が控訴人から本件土地を賃借して以来農耕の用に供して来たこと、及び控訴人主張の頃本件建物を建築したことは認める。

しかし本件建物はその後倒壊して現存していない。

2、本件建物は畑作果実の番小屋兼農具小屋として建築したもので、この農具小屋にたまたま居住に困窮した被控訴人の末子富士雄を臨時的に寝泊りさせたにすぎない。本件建物は構造的にも住宅たるに値しない建物であつて住宅でない。

3、本件建物は控訴人の承諾を得て建築したものである。すなわち、被控訴人は、建築完成前の昭和二七年五月二一日頃控訴人に右建築の承諾を懇請したところ、控訴人は同月二五日被控訴人の妻に「畑に西瓜の番小屋を建てても五坪ぐらいの小屋は要ることであり、この家も小さいものであるから、将来また無断で家屋を建てたりしないならば認めてもよい。」と述べて、本件建物の建築を承認したのである。

4、被控訴人は既に老令であり、本件土地は約百年来被控訴人方において誠実に小作して来たものであつて、右2、3主張のような事情の被控訴人の行為は決して本件全土地につき契約を解除できるとするほど信義に反するものではない。

5、昭和二五年度以降本件土地の小作料が反当り六〇〇円であることは認めるが、控訴人主張の約定小作料については之を争う。

6、市町村農業委員会の承認を得ていない本件契約解除土地明渡請求は違法無効である。市町村農業委員会の承認という行政的手続を経ずにいきなり裁判上の契約解除ができ、司法裁判所が第一次的終局的に裁判をなしうるとなす解釈は司法権の越権であり、究極において憲法違反である。

第四、証拠<省略>

理由

一、被控訴人が控訴人から本件土地を耕作の目的で賃借したこと、昭和二七年五月頃被控訴人が右賃借地の一部に本件建物を建築したことは当事者間に争いがなく、右土地が控訴人の所有であることは被控訴人において明らかに争わないから自白したものとみなされる。

二、控訴人は本件訴状をもつて右賃貸借契約解除の意思表示をなし、右訴状が昭和二七年八月一四日被控訴人に到達したことは記録上明らかである。なお控訴人は同年七月一〇日被控訴人に対し右契約解除の意思表示をした旨主張するがこれを認めるに足る証拠はない。

そこで右契約解除の効力について判断する。

(一)  農地調整法、農地法にいう農地とは、地目の如何にかかわらず、「耕作の目的に供される土地」をいうのであつて、ある土地が農地か否かの判定は、その土地の事実状態に基ついて客観的になすべきである。

その改廃の原因はどのようであつても耕作の目的に供されなくなつた土地はここにいう農地ではないが、現在は耕作されていないが、正常な状態の下においては耕作されるべきであり、耕作しようとすれば容易に耕地に復旧できる状態にある土地は農地たるの性格を失わないものであつて、農地調整法、農地法の適用があるものと解すべきである。また、賃借人が賃貸人の承諾がないのに賃借農地に住宅を建設してこれを宅地化したとしても、これがためにその土地の賃貸借が借地法にいう建物の所有を目的とする賃貸借となるものでもない。

よつて、本件土地が現に耕作の目的に供される土地に当るか否かについて判断する。

(証拠)によると次の事実が認められる。

1、被控訴人一家は本件土地を数十年前から賃借権にもとづき耕作(主として水田)して来たが、被控訴人は昭和二七年五月初め頃土地の西南部分に、当時住居に困り狭い被控訴人宅に同居していたその四男富士雄を一時的に居住させる建物を建築しようと考え、控訴人の承諾がないまま、本件土地中別紙図面FGHCFの各点を結んだ約一〇坪余りの部分(以下本件土地中土盛りされた部分と称する)に他の部分のうわ土を用いて従前の高さより約四センチメートル土盛りをし(南側と西側に接する道路よりはなお約二〇センチメートル低い)本件土地の土盛りしない部分との境であFG及びGHを結ぶ線上に石及びセメント塊等を雑然と積み並べて水田に土が崩れるのを防ぎ、右土盛りされた地上に、農業委員会の承認なくつぎのような本件建物を同年六月始頃建築完成した。

2、本件建物は基礎工事の全くない建物で、間口約五メートル、奥行約四メートル、建坪約二〇平方メートル(約六坪)の木造平屋建、切妻造であつて、屋根は下地に薄い板を張つた上に数年間の使用には堪えるという防水紙を貼つてこれを細板で止め、柱は細い材木を用い台石もなくその根元を土中に埋め込んで固定させてあつた。その周囲は南側の道路に面して巾約一メートルの出入口があり、南側に巾約九〇センチメートル、高さ五〇センチメートルの、東側に巾及び高さ各約三〇センチメートルの窓があるほかは内部外部とも上塗のない荒土壁(柱も塗込み)である。その内部は、天井も間仕切りもなく、西側約三坪は床板をはり、畳五帖を敷いてあるが、その余の部分は土間である。電燈線は引き込まれているが、便所、流し、水道等の設備はない。建築には素人の控訴人及びその親戚の者ら数名が、大工、左官等の手もかりず、一部は控訴人が以前から所有していた古材を使用し、不足の材料は全部で五、六千円で買い足して建築した粗末な建物で、その構造上、住宅といえるようなものではなく、ごく臨時的な一時の使用にしか耐え得ない、いわゆる堀つ建て小屋であつた。

3、富士雄は昭和二七年六月上旬その妻と共にこの建物に住み(本件土地の東側に接して被控訴人の住宅があつたので、便所、水道等のない本件建物に住むことができた)昭和二八年に妻と離別した後も富士雄が同三〇年秋頃迄夜間の宿泊のみにときどき本件建物を使用していたが、その後次第に荒廃して同三四年秋頃本件建物は自然に倒壊した。

4、本件土地中土盛りされた部分以外は現在に至る迄水稲又は野菜等の耕作が続けられてきた。

右のような事実が認められる。右認定の事実によると本件土地中土盛りされた部分は他の部分のうわ土を利用して土盛りされたのであるから、再び耕作をする場合に地味の点ではなんら支障はないわけであり、周囲の土どめも石塊等を雑然と積み並べたにすぎず、また本件建物は数年後には自然倒壊するような粗末な堀建て小屋であつて、これらを以前の状態に回復することはさして困難でないと認められる。これに本件土地中土盛りされた部分は本件土地の約五%に過ぎなく、約九五%に相当するそれ以外の部分は引き続き控訴人により耕作されていることを併せ考えると、右土盛りされた部分は、右認定のような事情があるというだけでは、たとえ現実に農作物が作られていなかつたとしても、なお農地調整法、農地法にいう「耕作の目的に供される土地」としての性格を失つていないものというべきである。右判断を動かすに足る証拠はない。

(二)  従つて本件土地は全体が農地であるから、その契約解除の効力は、農地調整法、農地法(控訴人は本件訴訟を維持することにより本件弁論終結に至るまで引続き契約解除の意思表示をしているものと解せられるから、昭和二七年一〇月二一日以降の右の契約解除の効力は農地法により判断すべきものである。)により判断すべきことになる。よつて控訴人主張のように被控訴人に信義に反する行為があつたか否かについて判断する。

6、(証拠)によるとつぎの事実が認められる。

1、被控訴人宅には当時六人の家族が住み、古着商をしていた四男富士雄は、その妻と二人で近くの運送屋の小屋に起居していたが、その明渡を求められて住居に困り、やむをえず被控訴人宅の約三坪の農機具用物置にむしろとござを敷いて起居することとなつた。しかし、富士雄の妻が古着更生の仕事のため夜遅くまで使うミシンの音がやかましく、農機具置場にも困り、富士雄夫婦としても右物置は狭かつたが、同人のために住宅を入手してやる資力もなかつたので、被控訴人は本件建物を建築して富士雄夫婦を一時的にここに住まわせようと考えるに至つた。建築の場所としては、被控訴人方の宅地内は苗代などに使用していたため狭かつたので、ミシンの音のこととか、便所、炊事場等がなく独立して居住用に使用できない建物であることなどを考慮して被控訴人宅に隣接した本件土地の右住宅から約一〇米離れた本件建物の場所を選んだものである。

2、右建築を始めた頃には、被控訴人としては自分の賃借している土地であるから、この程度のものを建てるだけであれば、控訴人の承諾を求める必要がないと信じていた。

3、被控訴人は建築を始めた後に控訴人より口頭で抗議をうけ、控訴人の承諾をえられるよう人を介して依頼したが、富士雄夫婦の住居にひどく困つていたので、とりあえず承諾をえられぬまま建築を進め完成させて富士雄を入居させた。その後も二回に亘り内容証明郵便をもつて本件建物の収去を求められ、のち本件訴を提起されたが、他に適当な移転先もみつけられないまま、富士雄にこれを引続き使用させ、富士雄がその妻と別居したので、昭和三〇年頃再び富士雄を被控訴人方に引取つた。

4、本件建物は、その後も収去せず、自然倒壊後も本件土地中土盛りされた部分をそのまま放置しているが、それは被控訴人が訴訟係属中のため本件土地建物に変更を加えてはならないと考えたことによるものである。右のとおり認められる。

これらの事実に前記(一)で認定した事実を総合すると、被控訴人は農業委員会の承認を得ずに、所有者の抗議にもかかわらず、農地に土盛りして一時的といえ居住のための建物を建築した点は信義に反する行為であるかのようであるが、それは四男富士雄の住居に困りやむをえずしてしたものであつて、本件土地中土盛りされた部分は僅か約一〇坪余りで本件土地の約五%にすぎず、本件建物も約六坪の狭いものであつて、前判示のような程度のものであるにとどまり、原状に復するにさした困難はないことを考慮すると、被控訴人の右行為は農地調整法九条一項、農地法二〇条二項一号にいう信義に反する行為に該当しないと認めるのを相当とする。ほかに右認定をくつがえし、被控訴人に信義に反する行為があつたと認めるに足る証拠はない。

三、すると、控訴人主張の解除は、その余の点について判断するまでもなく、すでにこの点において無効であるから、これが有効であることを前提とする控訴人の請求はいずれも失当であつて、本件建物収去土地明渡の請求を棄却した原判決は結局において正当であるから民訴三八四条二項により本件控訴を棄却し、当審で新たに追加された賃貸借契約関係不存在確認及び損害金の請求を棄却することとし、訴訟費用については同八九条、九五条本文、九六条後段を適用して主文のとおり判決する。(裁判長裁判官前田覚郎 裁判官平田浩 井関正裕)

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